青の洞門

青の洞門
by http://tweez.net/HIS_nippon/
諸国行脚の途、耶馬渓を訪れた禅海が、鎖渡の難所で人馬が河に落ち流されるのを見て、衆生済度のため隧道掘削の一大誓願を起し、享保20年(1735)49歳の時から30年かけて完成しました。

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青の洞門の基本情報


【 住所 】大分県中津市本耶馬渓町曽木


中津市ページ

愛が貫いた「青の洞門」

自然が豊かに残る大分県中津市本耶馬渓町には、現在のような機械もない300年以上昔に、ただひたすらノミと鎚を使って大岩盤を掘り続け30年の月日を費やして貫通したという「青の洞門」があります。

禅海和尚の努力のたまものである「青の洞門」は現在も多くの人にその恩恵を与え続けている隧道(トンネル)です。

自然と調和しながら便利な道としての機能も果たしている「青の洞門」をご紹介します。

青の洞門へのアクセス

電車とバスでは
九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の中津駅から大分交通中日線のバスの守実温泉行きで約30分(600円)
中津駅バス時刻表
青の洞門バス時刻表
中津駅前起点バス路線図
バス停「青の洞門」から徒歩2分

自動車では
大分道日田ICから国道212号経由37km40分。または東九州道中津ICから14km、20分。駐車場無料 約140台(大型10台)

青の洞門について

「青の洞門」は「あおのどうもん」と読みます。

禅海和尚がノミと鎚を使って大岩盤を掘り抜き、出来上がった当時には「青の洞門」とは、まだ呼ばれてはいませんでした。

そのころのこの隧道(トンネル)の呼び名は「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)とされていたそうです。

江戸時代末ごろから大正時代になると、その呼び名は「樋田のトンネル」や「青の洞門」へと変化していきました。

江戸時代には頼山陽もこの地を訪れていることが文献に残っています。

「青の洞門」が掘り抜かれる前、300年ほど昔にはこの地はたいへん急峻な足場で、川沿いの断崖を行き来しなければならない人々は危険を覚悟しなければなりませんでした。

実際に足を滑らせて転落することで、多くの犠牲者が出ていたのです。

そんな様子に心を痛めた禅海和尚は、一念発起して人々が安全に行き来ができる隧道を掘り抜くという覚悟を決め、ノミを手にしたと伝えられています。

「青の洞門」が完成してから10年ほどして、88歳で禅海和尚は亡くなっているので、およそ49歳の年での決意です。

今でも50歳を目前に、このような困難に立ち向かうのはたいへんなことです。

もう誰も命を落とさなくて済むようにしたいという「愛」は全国を行脚していた曹洞宗の僧としての心情であったのでしょう。

掘り始めた頃は、誰もそんなことができるとは思えず嘲笑していたということです。

何年も続ける僧の姿に打たれた地元の人々がやがて一緒に掘り進めていったそうです。

費用については和尚が托鉢などをして、その後は石工も加えて掘り進めたということです。

禅海和尚が最初に開通した隧道は、その後だんだんと大きく広げられて車なども通れるようになっているので、ノミと鎚で削ったあとを見ることができるのは、現在では川を望む明かりとりの窓の一部のみとなっています。

何か困難なことをやり遂げようと思っている人は、この明かりとりの窓に残るノミの跡に、自分の覚悟を祈れば通じるのではないかとさえ思ってしまいます。

苦難の30年の末に貫通した「青の洞門」ですが、さらに整備したり広げたりするために必要な費用を通る人から「通行料」を徴収することでまかなったと言われています。

人4文、牛馬8文という金額を通行料としていたということで、ここが日本で最初の有料道路だとされています。

耶馬溪にある「羅漢寺」では、「青の洞門」を掘り抜くために使われた道具や禅海和尚について、いろいろな書簡などを展示しています。

また一説には、苦労して貫通させたあと、通行料が入るようになって案外裕福な生活だったとも言われています。

清貧な僧のイメージがちょっと残念な感じではあります。

小説『恩讐の彼方に』

「青の洞窟」が全国的に有名になったのには、小説『恩讐の彼方に』が大きな役割を果たしています。

この短編小説は大正八年に菊池寛によって著わされたものです。

禅海和尚を小説のモデルにしていますが、小説では和尚はもともと侍で市九郎、市九郎は主人の愛妾と通じたことから、手打ちになるところを返り討ちにして主人を殺してしまいます。

逃げ延び転々とする中、「青の洞門」の地にたどりつき、岩盤を掘り抜くことを決心します。

ノミに鎚を当てるごとにわが身の罪を悔いていたのですが、何年もした頃に殺した主人の息子が仇討ちにやってきます。

市九郎はすぐにも殺してくれと言いますが、工夫たちが留めて、完遂するまでということになります。

少しも早く仇討ちがしたい息子はともに掘り抜く作業につき、一緒に大事業をやり遂げたとき、息子は感動し仇討ちする気持ちが消えていきます。

この感動的な小説が広まって、実際とは違った脚色に多くの人が感銘を受けたようです。

『恩讐の彼方に』はNHKのテレビドラマにもなりました。

羅漢寺

日本三大羅漢とされる五百羅漢、地蔵などたくさんの石仏が安置されているお寺です。

五百羅漢のお顔はそれぞれに個性があり、表情が違っています。

誰かに似ていると思える羅漢さんが並ぶ様子に、お参りする人々の笑顔が浮かびます。

羅漢さんがお参りする人々の願いや悩みなどをじっと聞いてくださるというご利益を求めて、各地からたくさんの参詣者が訪れます。

優しい羅漢さんに、そっとこころにわだかまっていることを打ち明けて、気持ちを軽くするのもおすすめです。

本堂はごつごつとした岩肌にへばりつくかのように作られている本堂。

リフトで上がれば3分余りですが、参道を歩いて行くと30分ほどかかります。忙しい旅程ではリフトを使うことをお勧めします。

時間がたっぷりあるのであれば、是非参道を歩いて行かれることがお勧めです。

参道は石畳になっていて、この山の霊気がその石畳を歩くごとに伝わってくるとも言われるからです。

645年にインドから来られた偉い仙人が、この土地にはとても強い霊気を感じると言われ、仏像を残されたことが起源とされる羅漢寺ですが、現在では3700体の石仏が安置されています。

羅漢さんなどの石仏を拝観するのもおすすめですが、仁王門にも1751年に作られた仁王像が左右に阿形(あぎょう)吽形(うんぎょう)の形で魔を払うにらみをきかせているので、参道を歩いて行くときは是非立ち寄ってください。

「無漏窟」はむろくつと読む岩屋で、入り口に立っただけでも、中から流れ来る霊気を感じます。

ここは煩悩の無い空間とされ、まさにこの地に霊気を感じた仙人と同じ霊気を、時空を超えて感じることができるかもしれません。

リフト乗り場の近くに「青の洞門」を掘り抜いた禅海和尚が使った道具が展示されています。

何かを道具を使って成し遂げたいと思っている人には、是非和尚の気持ちが入った道具を見て、成功を誓ってはいかがでしょうか。

参道は九州自然遊歩道となっており、リフト(有料)で上ることもできます。

参拝時間:9:00~17:00、年中無休
料金:本堂300円 リフト往復700円
住所:大分県中津市本耶馬渓町跡田1501
電話:0979-52-2538
アクセス
日豊本線「中津駅」から大分交通バス約40分「中島」~徒歩20分

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