壺阪寺
photo by @sakura415rusk
壺阪寺の基本情報
【スポット】壺阪寺
【ふりがな】つぼさかでら
【 住所 】奈良県高市郡高取町壺阪3
【アクセス】近鉄吉野線 壺阪山駅からタクシーで約10分
【最寄り駅】壺阪山駅
【営業時間】8:30~17:00
【 料金 】大人600円、中高生400円、小学生100円
【クーポン】公式ウェブサイトで割引クーポンを提供している場合があります
ユニークな仏様も!奈良県の「壺阪寺」
「壺阪寺」は奈良県高市郡高取町にあるお寺です。こちらは奈良時代に創建された由緒あるお寺で、お寺には豊富な文化財や建造物、仏様などが揃っています。そのほかにも浄瑠璃の舞台となるなど全国的にも非常に有名なお寺。特に眼病へのご利益があることから秋には「めがね供養」も行われています。
「壺阪寺」の概要
奈良県高市郡高取町にある「壺阪寺」は真言宗のお寺です。正式には「南法華寺」と呼ばれますが、山号である「壺阪山」から、一般的には「壺阪寺」と呼ばれています。
創建されたのは奈良時代の703年と伝えられ、山で修業をしていた僧侶である弁基上人と言う人物が、愛用の水晶のツボを坂の上に収め、観音像を刻んでお祀りしたというのが起源だと伝えられています。
平安時代になると、京都の清水寺が「北法華寺」と呼ばれるのに対して「南法華寺」として奈良を代表する寺院ともなっています。その美しさや風情は、清少納言が書いたと言われる日本最古の女性によるエッセイである「枕草子」にも、「寺は、壺坂」としてほめたたえられています。
その後、「壺阪寺」は真言宗の道場として栄えていきますが、南北朝や戦国時代の戦乱によって荒廃し、一時は山門などわずかな建物だけとなったこともあるといいます。
しかし、豊臣秀吉が天下を取ると、秀吉の弟、秀長の家来本多利久によって保護され、その後は復興、再びかつてのように栄えるお寺となりました。
「壺坂霊験記」とは
そんな「壺阪寺」ですが、明治以来、さらなる発展を遂げることになります。そのきっかけとなったのが「壺坂霊験記」です。
「壺坂霊験記」は明治の始めに上演されることになった浄瑠璃。浄瑠璃は、三味線の伴奏に合わせて歌とともに物語を語るお芝居のようなものですが、「壺坂霊験記」は明治に作られた演目のひとつです。
物語の主人公は、盲目の三味線弾きである沢市とその三つ違いの妻、お里。盲目である沢市は、ある日妻のお里が明け方になるとそっと外に出かけていくことに気づきます。
もしかすると別に好きな男ができたのかも知れないと沢市はお里を問い詰めますが、実はお里はこの三年間、沢市の目が治るようにと近くの「壺阪寺」の観音様にお参りし、願掛けをしていたと伝えます。
自分の考えを恥じた沢市は、お里とともに
「壺阪寺」の観音様へのお参りを始めますが、ある時、目の見えない自分が一緒にいることでお里に苦労を掛けていると考え、この先一緒にいてもいいことはないだろうと、お里を自由にしてやろうと、満願の日にお里に隠れて滝つぼに飛び込んでしまいます。
しかし夫の死を嘆き悲しんだお里も滝つぼに身投げ。そんな二人の夫婦愛を知った観音様は二人をあわれみ、命を助けるだけでなく沢市の目を直してやるのでした。
この浄瑠璃は大ブームとなり、その後は歌舞伎や講談の演目にもなっただけでなく、舞台である「壺阪寺」には多くの人が参拝に訪れるようになりました。
また、「壺阪寺」にはもう一つの霊験記が伝わっています。こちらは「さよ姫伝説」と呼ばれるもので、近くに住んでいた姫の物語です。「壺阪寺」の近くで育ったさよ姫は、ある日説法を聞きに出かけ、親孝行をする者には仏が現れるという話を知ります。貧しいため、父親の十三回忌に何もできないことを嘆いていた姫は、たまたま通りかかった商人が若い女性を買いに来ていたのを知り、進んで身を売って父親の十三回忌を執り行います。
その後、商人とともに遠くの陸奥の国まで来た姫は、商人が若い女性を買いに来ていた理由を知ります。それは大きな蛇のいけにえを探すためでした。姫君は決められた場所で蛇が現れるのを待ち、蛇の姿を見るとお経を唱えます。
親孝行の功徳によって姫のお経はありがたいものとなり、それを喜んだ大蛇は天に昇り、観音菩薩になり、姫も弁才天に姿を変えるというのが、「壺阪寺」につたわるもうひとつの霊験記です。
「壺阪寺」の本尊
「壺阪寺」の本尊は、「十一面千手観音菩薩像」。千手観音はインドから伝わった観音様で、千本の手を持つことから、この世のどのような人々でも慈悲の心で救済する観音様だと言われています。また数多くの手にはそれぞれ目があり、その目によってこの世のあらゆる出来事を見ることができると伝えられています。
また、多くの目を持つことから千手観音は眼病のご利益があると言われ、「目の仏様」として奈良時代から進行を集めています。
「壺阪寺」の本尊である「十一面千手観音菩薩像」は、室町時代の作と言われ、樫材による寄木造となっています。
また、「壺阪寺」には多くの仏様が収められていますが、「大観音立像」も見どころのひとつです。この大観音立像は「壺阪寺」がインドで行った社会活動に対する感謝の意としてインド政府から送られたもので、約8年の年月をかけてインドと日本の石工によって彫り上げられたという非常にスケールの大きいもの。高さは約20メートル、重さは1200トンと世界でも最大級の大理石造りで、非常に見ごたえのある石仏として知られています。
ほかにも、「壺阪寺」には奈良時代に作られた屋根瓦や、平安時代に作られた「大日如来像」「増長天立像」など数多くの仏像や文化財が収められています。それらすべては常に公開されているものとは限りませんが、定期的に展示が行われるため、興味がある方はぜひ一度ご覧になることをお勧めします。
「壺阪寺」の仏伝図レリーフ
「壺阪寺」を訪れたときにぜひ見てみたいものとして「仏伝図レリーフ」が挙げられます。これはお釈迦様の一生を石に彫った彫刻作品ですが、「壺阪寺」で作られているのは全長50メートルという非常に大きなサイズです。お釈迦様が生まれ、悟りを開いて涅槃に入るまでの一生は説明がなくてもわかりやすいもので、ゆっくりと眺めていると知識がなくても楽しめると評判です。細かいところまでしっかり工夫がされているレリーフは、ぜひ一度は見ておきたいものです。
「壺阪寺」のご利益
「壺阪寺」は目の病や眼病封じのお寺として知られています。眼病封じの祈願を行うときには木札に名前を書き、観音様に結んで眼病封じの御朱印を持ち帰ると観音様が願いを聞き届けてくださると言われています。
また、眼病にご利益があることから、「壺阪寺」では「めがね供養」も行っています。古くなっためがねをゴミに出すのが忍びないと言う人は、こちらに供養を頼んでみるのもいいかもしれません。
さらに「壺阪寺」では、なかなかお参りに来れないと言う人のお土産としてお守りやお土産も豊富に販売しています。
人気なのは、「魔除け面」。こちらは鬼の面がデザインされたお守りで、眼病予防や眼病退散にご利益があると言われています。色は五色あり、それぞれことなるご利益もあるため、誰かのお土産にもおすすめです。
こちらでは「眼病封じの御祈祷」済みの「め煎餅」といったお菓子やお香なども揃っているため、プレゼントに最適な品物も見つかるかもしれません。
「壺阪寺」へのアクセス
「壺阪寺」へのアクセスは、車の場合は阪和自動車道から南阪奈道路、または西名阪自動車道で柏原インターチェンジ下車、橿原市内から約15分となります。
電車の場合は近鉄特急に乗車し「橿原神宮前」で吉野行きに乗り換え、「壺阪山」下車となっています。電車の場合、最寄り駅からは少し距離があるため、バスかタクシーの利用がおすすめとなります。
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