東京都水道歴史館
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東京都水道歴史館の基本情報
【スポット】東京都水道歴史館
【ふりがな】とうきょうとすいどうれきしかん
【 住所 】東京都文京区本郷2-7-1
【アクセス】東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線 本郷三丁目駅 徒歩約8分
【最寄り駅】本郷三丁目駅
【営業時間】9:30~17:00(入館は16:30まで)
【 料金 】無料
【クーポン】なし
東京都水道歴史館
が含まれる観光マップ
歴史を感じる東京都水道歴史館へ行って来た!
東京都水道歴史館はどこにあるの?
東京都水道歴史館とは、東京都文京区本郷2丁目7-1に位置している、東京都水道局が運営するPR施設です。学校の授業の一環としての、校外学習や社会科見学、企業の研修での見学などさまざまな場面で団体利用されているようですが、個人利用(自用車用)の駐車場は用意されていないため、個人で訪れる方は公共交通機関を利用したほうがよさそうです。最寄駅とアクセスは以下のとおりです。
バス
・都営バス 順天堂病院前 下車 徒歩約3分
電車
・JR 中央線・総武線 御茶ノ水駅(御茶ノ水改札口)/水道橋駅(東口改札)
・地下鉄丸ノ内線 御茶ノ水駅(1番出口)/本郷三丁目駅(春日通り方面出口)
・地下鉄千代田線 新御茶ノ水駅( B1出口)
・地下鉄都営三田線 水道橋駅( A1 出口)
・地下鉄都営大江戸線 本郷三丁目駅(3番出口)
上記各駅より徒歩約8分
いちばん近いのはバスで行く方法ですが、電車でも駅から徒歩10分以内と、なかなか便利な立地ですね!公式ホームページに、最寄り駅からの徒歩ルートも丁寧に説明されていますので、行かれる方はぜひ参考にしてみて下さい。
そもそも東京都水道歴史館ってどんなところ?
東京都水道歴史館は、先にも述べたとおり東京都水道局のPR館です。もともとその始まりは、明治時代末期に建てられた淀橋浄水場模型室とその中につくられた水道参考館でした。それが1981年に水道局 資料室となり、1984年には東京都水道記念館へと変遷、そして1995年4月15日に文京区の東京都水道局本郷庁舎内に開館したのが、現在の東京都水道歴史館です。その後2009年に一部改装がおこなわれ、リニューアルオープンしました。
東京の水道は、江戸時代から現代東京に至るまで、約400年もの歴史を持っています。その大切な歴史と、安全でおいしい水を各利用者に届けるための水道技術・設備に関わる展示資料を無料で公開してくれているのが、この東京都水道歴史館なのです。館内では、神田上水や玉川上水などの江戸上水から、近現代の水道の創設、そして今現在の水道にいたるまで、規模・水質とともに世界有数のレベルにまで達した東京水道の歴史や技術などを、当時の実物資料や再現模型、映像資料などを多数用いてわかりやすく紹介してくれています。また、東京都指定有形文化財ともなっている、江戸時代の水道の記録である古文書『上水記』をはじめとした、水道に関する貴重な資料が保存・公開されています。
館内は3フロア構成になっていました。1階には近現代の水道についての展示があり、震災や戦争、渇水などのさまざまさ災害や困難などを乗り越えて、規模・水質ともに世界有数のレベルに達した東京水道の歴史や技術を、迫力ある実物大の模型や映像解説などから学ぶことができます。2階では江戸上水の歴史について学べる展示が用意されており、神田上水や玉川上水をはじめとした江戸上水の仕組みを、上水井戸や木樋、古文書などの資料で紹介してくれています。当時の江戸の長屋の再現空間や、玉川上水にまつわる感動の物語など、想像の膨らむ展示が多々ありました。そして3階にはライブラリーレクチャーホールがあり、学習や研究で使うことのできるような資料がたくさん揃えられていました。
今回私たちは利用しなかったのですが、館内では音声ガイドもおこなってくれているそうで、日本語・英語・中国語。韓国語の音声ガイダンスを無料で貸し出してもらえる他、5名以上の団体見学で訪れた際には、予約制のアテンダントの展示案内も申し込めるそうです。また、3階にあるライブラリーでは、水道や江戸関連図書の閲覧・貸し出しサービスも実施されています。
東京の水道の歴史・資料について
今回私たちがお目当てにしていた、東京の水道についての歴史を知ることのできる資料は、2階フロアに展示されていました。その中でも見どころをいくつか詳しく紹介していきたいと思います。
まずは「木樋」。「木樋」と買いて「もくひ」と読みます。「樋」とは、河川や湖、沼などの水を放出させたり流下させたりする際に用いられる、水門や管のことを言います。その中でも木樋とは、その名のとおり木でつくられた樋のことで、江戸時代には木製の水道管として実際に活用されていました。こちらに展示されているものは、東京都千代田区丸の内三丁目遺跡、阿波徳島藩上屋敷跡から出土したものだそうです。この木樋には特徴があり、上部にある溝をよけるために、「伏越し」と呼ばれる昔からの技法で、木樋を溝の下へもぐらせてあります。また、木樋のふたの部分は溝からの水が入ってきてしまわないようにと一枚板が使用され、板の継ぎ目にあたる部分には木の皮をやわらかくしたものが敷き詰められて、和船用の和釘の一種である船釘によってしっかりとつなぎ合わされています。結合部分には、つなぎ合わせる木樋の組み合わせがわかるようにと、絵や印を刻みいれるなど、当時の人々の生活の知恵や工夫を垣間見ることができます。実物はすごい迫力で、これが実際の地下に埋まっていたのかと考えると、とても想像できませんでした。
続いては、玉川上水をつくったとされる、玉川兄弟の像。玉川上水は1653年に完成した江戸時代の上水で、その工事期間は約半年あまりだったそうです。この工事に取り組んだのが、展示にもなっている玉川兄弟。開通予定場所となった羽村から四谷までの標高差が、約100メートルしかなかったこともあり、引水工事は大変困難を極めたそうです。取水場所に関しても、当初の計画で挙がっていた日野では、いわゆる水喰土(浸透性の高い関東ローム層)に水が吸い込まれてしまいうまくいかず。次の取水口候補となった福生でも、岩盤にぶち当たり、結果は失敗に終わってしまいました。二度の失敗を経験し、工事費もかさんでしまい、高井戸まで掘り進めたところでついに幕府からの資金は底をついて しまったそうですが、玉川兄弟は自分たちの家を売り払って資金を集め、それらを工事の費用に充てたと言われています。
最後にもうひとつ。東京都指定有形文化財にも指定を受けている古文書、『上水記』について。『上水記』は、江戸幕府の普請奉行上水方道方であった石野遠江守弘道によって、1788年(天明8年)に起稿され、3年後の1791年(寛政3年)に完成した、江戸上水の幕府公式記録です。3部つくられ、その内容としては、主として、神田上水、玉川上水の建設記録が記されています。表紙は青色で和綴じされており、全10巻から構成されているそうです。1部は、当時の将軍であった、11代徳川家斉に献上され、現在は国立公文書館に保管されています(ただし欠本あり)。もう1部は、老中だった松平定信に進呈(現在所在不明)、そしてもう1部は上水方役所の保存用に置かれ、「上水方のみちしるべ」とされたと伝えられているそうです。明治維新を経て、玉川上水の管理も江戸幕府から明治政府へ、そして東京府へと移行され、それにともなってこの『上水記』の管理主も代わっていきました。現在ではその管理は東京都水道局に引き継がれ、東京都水道歴史館に保管されているというわけです。
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