阿蘇神社

阿蘇神社
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全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社。熊本県内でも代表的なパワースポットとして有名です。まわりを2周すると縁結びに効く「高砂の松」、願い事を一つだけ叶えてくれる「願掛け石」、不老長寿の水が湧き出る「神の泉」などが境内にあるので、お立ち寄りの際は忘れずに願掛けをしてみては?

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阿蘇神社の基本情報


【 住所 】熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1

阿蘇神社
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公式ページ (現在、神殿は復旧工事中)

熊本地震からの復旧が待たれる阿蘇神社

熊本県阿蘇市にある阿蘇神社は2500余年の歴史を持つと伝えられています。

昨年の熊本地震で大きな被害を受け、拝殿と重要文化財の楼門が倒壊してしまいました。

そんな阿蘇神社について紹介、今後の復旧活動についてお話したいと思います。

場所:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
交通アクセス:JR豊肥線宮地駅下車徒歩15分

阿蘇神社について

歴史阿蘇神社は、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子・速瓶玉命(はやみかたまのみこと)が孝霊天皇9年(紀元前282年)に、両親を祀ったのが始まりと伝えられています。

阿蘇神社はその健磐龍命を主神として、12の神々が祀られています。

「延喜式神名帳」(延長5年(927年)にまとめられた当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧)には、健磐龍命神社、阿蘇都比咩神社、国造神社の三座が記載されています。

古代から阿蘇神社は肥後国一の宮といわれ、崇敬を受け、中世には広大な社領を有していました。

社領は阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)の領主支配により、阿蘇郡を越え、上下益城、宇土まで拡がっていたそうです。

その後、島津の攻略にあい、豊臣秀吉の九州征伐に際し社領を没収され、幼い当主は殺されました。

しかし、慶長6年(1601年)、領主となった加藤清正に社地が寄進され、神主家として再興されました。

震災前の社殿群は、天保6年(1835年)から16年かけて細川藩の寄進によって再建されたものです。

明治時代になると、国幣中社、官幣中社、官幣大社に昇格しています。

阿蘇神社は古くから農業を司る神として信仰されています。

田植えの時期に行われる「おんだ祭り」や、「田作祭」など、伝えられている祭りにはその信仰が色濃く出ているものもあります。

年間を通じて行われる稲作祭祀は「阿蘇の農耕祭事」として国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

境内の施設(震災前)

東向きに還御門、楼門、御幸門があり、境内には社殿が3棟あります。

「日本三大楼門」に数えられる総門は、高さが18mある壮大なもので、神社では珍しい仏閣の様式で建てられています。

社殿は正面に拝殿、向かって左側に一の神殿の拝所、右側に二の神殿の拝所があります。

楼門など6棟が国の重要文化財に指定されています。

ご利益・生活守護

神の泉:不老長寿のご神水と云われている湧き水です。楼門の横にあります。

願かけの石:拝殿の右手には古代より神石として伝承保存されている「願掛け石」があります。 参拝者たちが石に3回なでてから、願い事を唱える様になり、近年パワースポットとして人気があります。

高砂の松:同名の謡曲「高砂の松」に因んだ縁結びの松です。

男性は左から2回、女性は右から2回まわるとご利益があるとされています。

健磐龍命の神話

阿蘇には開拓の神「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」にまるわる神話が多く残っています。

健磐龍命は日本神話に登場する人物で、阿蘇開拓の神話の主人公です。

神武天皇(じんむてんのう)の孫神・健磐龍命は、元々は阿蘇で信仰されていた阿蘇山の神と言われています。

神武天皇の命を受けて九州統治のために派遣され、日向(宮崎)を平定した後に阿蘇山へ向かいました。

阿蘇山の外輪山の上から目の前にあるカルデラの中湖を眺め、その広大さに感心します。

そこで健磐龍命は、その水をなくして田畑を造ろうと考えたのです。

外輪山の一部を蹴破ろうとしたのですが、山が二重になっているためなかなかうまくいきません。

以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」と呼ばれるようになりました。

再度、別の場所で挑戦し、見事に蹴破ることに成功したのですが、そのはずみで尻もちをつき、「立てぬ」と叫びました。

以後、その場所は「立野」と呼ばれるようになったそうです。

また、蹴破ったところからは、湖水が一気に西の方に流れ出て、数匹の鹿が流されてしまいました。

以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになったとのことです。

湖水が引いても、なお溜まっているところがありました。底から巨大な鯰(なまず)が現れ、湖水をせき止めてしまったのです。

健磐龍命が鼻に縄を通して引っ張って追い出そうとすると、さすがの鯰ものろのろと動き、現在の上益城郡嘉島町へ流れ着きました。(刀で鯰を3つに切ったという話もあります)

退治した鯰の祟りを鎮めるためにその霊を祀った「鯰社(なまずしゃ)」が国造神社(こくぞうじんじゃ)の境内にあります。

以後、健磐龍命は鯰を食べることを禁じ、阿蘇神社の人々は今でも鯰を食べない風習が残っています。

神々に守られた門前町「水基巡りの道」阿蘇神社が倒壊したにもかかわらず、門前町商店街「水基巡りの道」は比較的被害が少なくすみました。

「水基巡りの道」は、参拝者を商店街に呼び込もうと、住民が日頃使っている湧水を店先に引き、「水基(みずき)」と呼ばれる水飲み場を整備したのが始まりです。

熊本地震で阿蘇神社は間近にある楼門や拝殿が倒壊したのに、神様が鎮座する神殿が大きな損傷を受けたにもかかわらず倒壊を免れました。

神様がいらっしゃったからこそ、“阿蘇の神様が身代わりになってくれた、門前町が守られた”と住民たちは感謝しているそうです。

残念なことに熊本地震の影響で「水基」の一部が枯れてしまったものもあれば、以前よりも水量を増したものもあるそうです。

さて、「水基」にはそれぞれユニークな名前が付けられているそうです。

銀行の金庫室の下から湧きでるから「金脈の泉」、酒屋さんは「酒杜の泉」、お菓子屋さんは「菓恋水」などです。

門前町の湧き水は、ちょうど商店街の真ん中から右側と左側で軟水と硬水に分かれます。

そのためか、「水基」によってそれぞれ味が違うといわれています。

阿蘇神社参拝のあとに門前町に立ち寄り、いろいろな水を試飲して、違いを感じて見るのも楽しいのではないでしょうか。

阿蘇国造りの神々に守られた「水基巡りの道」で熊本の復興のパワーを感じることができるかもしれません。

阿蘇神社の復旧について

阿蘇神社の復旧工事は昨年11月から始まっています。

倒壊した神社の象徴である楼門は全体を覆うように設置された作業場で解体しているそうです。

楼門を含む6棟の重要文化財は国庫補助事業として総事業費約9億3000万円をかけて2022年度までに復旧を終える予定です。

解体した部材が再利用できるか一つ一つ確認しながら慎重な作業をしているとのことです。

未指定文化財の拝殿などは2020年度中に再建、修復を目指すと阿蘇市が計画を明らかにしています。

拝殿は既に解体し撤去済み、設計や入札手続きの後、早ければ2018年度後半にも工事の着工する計画とのことです。

しかし、昭和23年に改築されていることで国の重要文化財に指定されておらず、全額、阿蘇神社が自費で再建しなければなりません。

費用は被災した宗教法人に寄付すると税の優遇措置が受けられる指定寄付金制度を活用して全国の企業などから4億円を集めるそうです。

そのほか、神社への寄付金2億円も充て、神社の負担は2億円になる見込みとのことです。

地元の有志たちが阿蘇神社の復興を支援しようと動画を作成し、神社の現状や、地域住民の神社への思いを紹介しています。

この動画は動画投稿サイト「you tube」で配信されており、1回の視聴で0.1円程度が神社に寄付されるそうです。

以前訪れた阿蘇神社の姿は今はありません。ただ、いつか、新しくなった神社に行く事が出来る日が来るよう、早期の復旧のため、少なからず応援したいと思っています。

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