豪徳寺

豪徳寺
photo by @tai.coco.days
招き猫発祥のお寺として無数の招き猫が奉納されています。こんだけ招き猫がいるとたくさんの「運」を招いてくれそう!?フォトスポットとしても人気なのでカメラを持っていくのを忘れずに!

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豪徳寺の基本情報


【スポット】豪徳寺
【ふりがな】ごうとくじ
【 住所 】東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
【アクセス】小田急線 豪徳寺駅 徒歩約10分
【最寄り駅】豪徳寺駅
【営業時間】9:00〜16:00
【 料金 】無料
【クーポン】なし

豪徳寺
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猫と歴史の寺、世田谷区「豪徳寺」

世田谷区といえば、人気の住宅地。

そのためたくさんの家が並んでいて、非常に入り組んだ場所です。

しかしそんな世田谷区の中にものんびりとした広々とした空間が広がっている場所があります。

それが豪徳寺。豪徳寺では都会では珍しい、緑と空を感じることができる空間です。

さらにこの豪徳寺は猫好きにとっても聖地なのだとか。

一体どういうことなのでしょう。

それを説明する前に、まずは豪徳寺についての基本情報から見ていきましょう。

豪徳寺の基本情報

豪徳寺へのアクセスは、小田急小田原線の豪徳寺駅から徒歩約10分、または東急世田谷線宮の坂駅から徒歩約5分です。

車の場合は首都高速永福ランプから約15分。

豪徳寺には駐車場もありますが、それほど大きな規模ではなく、また周辺で駐車場を見付けるのもなかなか難しいので、できれば公共交通機関の利用が便利でしょう。

開館時間は朝6:00から18:00ですが、季節によって前後することもあります。

拝観は無料です。豪徳寺は、もともと世田谷城の城主だった吉良政忠が亡くなった伯母の菩提を弔うため、臨済宗弘徳院として創建、その後、曹洞宗に改め、1584年ごろに開山、江戸時代の初期、世田谷が井伊家所領となったことをきっかけに井伊家の菩提寺となりました。

このとき、藩主だった井伊直孝の法号である昌院殿豪徳天英大居士より二字をとって豪徳寺と改名しました。

そのため、豪徳寺は井伊家にゆかりが深く、境内の一角には井伊家の墓所が設けられています。

それでは、豪徳寺の内部を見てみましょう。

豪徳寺で参拝

参道の入り口から進んでいくと、見えてくるのが山門。

その脇にあるのが、「井伊直弼墓」という石碑です。

井伊直弼といえば、桜田門外の変で暗殺された当時の大老だった人物。

墓所は東京都の史跡とされていますが石碑の場所は墓ではなく、その案内のようなものなので間違いのないようにしましょう。

山門をくぐると、大きな香炉が見えてみます。ここでお線香をあげて本堂を参拝しましょう。

豪徳寺の梵鐘

境内の横には梵鐘があります。これは延宝7年に完成したあと、現在までずっと伝えられてきたもの。

地方の寺などでは、戦時中に鐘が取り外されるということもありましたが、豪徳寺の鐘はその時代を乗り越え、現代に伝えられています。

この鐘は工芸的にも優れた作品で、作者は藤原正次、またの名を釜屋六右衛門として知られています。

当時、江戸で有名だった鋳物師で、この鐘の形にも優れたデザイン性が発揮されています。

寺院の鐘としては比較的細身で、吊手の龍頭などを観察すると美術的に優れたものであることを知ることができます。

鐘のデザインというものはどこでも同じだと思いがちなものですが、見比べてみると意外な発見が多く見つかるものなので、他の寺院を訪れたときなど、ぜひしっかりと観察してみるとよいでしょう。

豪徳寺の仏殿

鐘つき堂の反対側には、三重の塔がそびえています。その塔を見ながら、正面の仏殿に向かいましょう。

豪徳寺の仏殿は1677年に建立された歴史ある建物で、世田谷区の指定有形文化財として指定されています。

なお、仏殿の中に安置されている5体の仏像は、井伊直孝の娘が父の菩提を弔うために作らせたもので、仏師祥雲によって制作されました。

仏師祥雲は目黒区の五百羅漢寺の五百羅漢をも制作した人物で、ここに収められている仏像も非常に貴重なものとなっています。

本殿の後ろには本堂があり、こちらは関東大震災で焼失したものを再建したものとなっています。

彦根藩井伊家の墓所

さて本殿の前に戻り、三重の塔の西側に進んでいくと、「彦根藩井伊家の墓所」が現れます。

ここには、豪徳寺の名の由来となった井伊直孝以降に江戸で亡くなった藩主やその家族が葬られています。

墓所の北西の角には井伊直孝の大きな墓があり、そこから南西に進んだ場所に幕末の大老、井伊直弼の墓があります。

また井伊直弼だけではなく、周囲には井伊直弼の墓を守った遠藤謙道、そのほか桜田門外の変で命を落とした家臣の墓があります。

伝承によると、井伊直弼の遺体は豪徳寺に葬られていたとされていましたが、近年の調査によるとこの場所には誰も葬られていない可能性が分かっています。

2009年の墓所の修理に際して地下三メートルまでレーダーによって調査を行ったところ、その事実が発覚しました。

しかし国の史跡であることからそれ以上の調査は断念、謎は謎のままで残されることになりました。

そのほか墓所には、藩主や正室の墓石があり、中心には豪徳寺の伽藍の造営に尽力した井伊直孝の長女である亀姫の墓石が建立されています。

招き猫発祥の地

ここまで見てきた限りでは、豪徳寺は井伊家の墓所を中心として作られた寺院であることがわかりますが、しかし豪徳寺は井伊家ゆかりの墓であると同時に、猫好きの聖地として知られています。

というのも、こちらの豪徳寺は「招き猫発祥の地」ともしても知られ、境内には多数の招き猫が奉納されているのです。

この豪徳寺が招き猫の寺となったきっかけにも井伊家が関係しています。

それは彦根藩主、井伊直孝の時代。鷹狩に出かけた井伊直孝が寺の前を通りかかったとき、門のところにいた寺の猫が手招きをしているように見えたため井伊直孝はこの寺で一休みすることにしました。

そうして住職からお茶をごちそうになることになった井伊直孝がふと空を見ると、あっという間に大雨が。

危うくびしょ濡れになりそうだった井伊直孝は、猫のおかげでぬれずに済んだと大喜びして、その結果、豪徳寺は井伊家の菩提寺となりました。

その猫がなくなったとき、住職は井伊家との縁を作ってくれたと手厚く葬りましたが、やがてその猫は縁起のいいものを呼んでくる「招福猫児」(まねぎねこ)としてあがめられるようになりました。

つまり、豪徳寺と井伊家、そして猫には切っても切れない縁が生まれたのです。

さらにその後、豪徳寺では「招猫観音」が祀られるようになり、一層の猫信仰が高まりました。

ちなみに豪徳寺では「まねきねこ」ではなく「まねぎねこ」と呼ばれます。

また、いわゆる一般的なまねきねことはことなり、豪徳寺の「まねぎねこ」は小判やお札を持ったりすることはなく、右手を挙げて鈴をつけただけのごくシンプルな白い猫になっています。

招猫観音が祀られる招福観音堂にお参りすると、家内安全や商売繁盛、心願成就にご利益があるといわれていて、やがてその願いがかなった人たちがお礼として「まねぎねこ」を持ち寄るようになり、豪徳寺にはあちこちに猫の像が飾られることになりました。

まねぎねこだけでなく、豪徳寺の絵馬には猫が描かれていて、猫に関するお願いが数多く寄せられているようです。

豪徳寺とひこにゃん

ちなみに、あの彦根市の人気のゆるキャラ、「ひこにゃん」も、この豪徳寺の猫にちなんだもの。

彦根市と言えば井伊家、井伊家といえば猫ということで、キャラクターのモデルに猫が選ばれたそうです。

豪徳寺のまねぎねこスポットであるお堂「招福堂」は、本殿の左側にあります。

この周辺には、お礼として奉納されたまねぎねこを見ることができます。

ここには驚くほどの数のまねぎねこが並び、絶好の撮影スポットのひとつとなっています。

実際、多くの人がここで撮影した写真をSNSにアップしているので、興味がある人にはオススメです。

猫の中にはサイズや形が異なるものも多く、また寺院の中には小さく猫の装飾が施されている場所もあって、ちょっとした隠れキャラを探すような気分で探索することもできます。

もし歴史と猫が好きという人には、豪徳寺ほど楽しめる寺院も珍しいのかもしれません。

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