安養院

photo by @melody_0104
安養院の基本情報
【 住所 】神奈川県鎌倉市大町3丁目1−22
北条政子の情熱を感じる安養院
源頼朝の正室・北条政子ゆかりの寺、安養院。
つつじ寺としても有名で観光名所になっています。
安養院は政子が頼朝の冥福を祈って建てた笹目の長楽寺が前身といわれています。
そんな、安養院の観光スポットを紹介したいと思います。
交通アクセス
JR横須賀線「鎌倉駅」東口から徒歩12分。 京浜急行バス「名越 逗子駅」、「緑ヶ丘入口」行き乗車し約4分で「名越」停留所を下車し徒歩2分。
拝観料:100円
拝観時間/入館時間:午前8時00分~午後4時30分
安養院の概要
もともと、この地には尊観上人(そんかんしょうにん)が開いた浄土宗の善導寺(ぜんどうじ)というお寺がありました。
北条政子は亡くなった夫である源頼朝を弔うために、長谷の笹目に願行上人(がんぎょうしょうにん)を開山として長楽寺を建てました。
しかし、政子の亡き後、兵火に焼かれてしまったため、鎌倉時代末期にここに長楽寺を移し、北条政子の法号である安養院を院号にして、それが寺名になったといわれています。
本堂には本尊阿弥陀如来像と千手観音像と北条政子像が安置されています。
5月には、オオムラサキツツジが寺を埋め尽くし、観光スポットになっています。
また墓地には映画監督・黒澤明氏が眠ります。
北条政子と源頼朝について
保元2年(1157年)、北条政子は、伊豆の豪族・北条時政の長女として生まれました。
源頼朝は平治の乱で敗れ、同地に流刑人としてこの地にやってきています。
監視役を務めていたのが政子の父・時政です。
やがて恋に落ちた二人は、周囲の反対を押し切って結婚をします。
時政は頼朝との交際を反対し、政子を平氏に縁がある武将と結婚させようとしたのです。
しかし、政子はその政略結婚を知り、屋敷を抜け出し、山を越えて頼朝の元へ走ったと言われています。
当時には珍しい恋愛結婚なんですね。
長女・大姫が生まれたころには時政も二人の結婚を認めていたといわれています。
政子は、頼朝を愛するあまり、嫉妬深かったと言われてます。
頼朝が寵愛した亀の前という女性の家を襲撃させて壊してしまいます。
この事件は「亀の前事件」と呼ばれ、周囲を巻き込んで起こった最大の「夫婦喧嘩」と言われています。
政子の身分は、頼朝の正室としては低かったため、自身の地位を守るために他の女性を排除しようとしたのではないかと考えられています。
女性としては、気持ちは分からなくもないし、いじらしいなと思うのですが、やることが大胆ですよね。
1189年、頼朝が奥州征伐のため出陣した際、政子は鶴岡八幡宮にお百度参りして戦の必勝祈願をしたといわれています。
頼朝は、気が強く聡明な北条政子に頭が上がりませんでしたが、政子は頼朝のことを心から愛していたと考えられます。
鶴岡八幡宮の境内、源氏池に浮かぶ中の島にある旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)の裏に置かれた霊石。
頼朝が政子の安産を祈ったとされる石で「政子(まさこ)石」と呼ばれています。
この石は古来より縁結びの霊験があり、夫婦円満の祈願石と信仰されてきた霊石で、別名「姫石」とも呼ばれています。
安養院境内
本堂(観音堂)
本尊の阿弥陀如来坐像や千手観音像、北条政子像が祀られています。
千手観音像は頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた頃から仕えていた田代信綱の観音像を胎内に納めた仏像であることから「田代観音」と呼ばれます。
また、北条政子が祈願して頼朝と結ばれたという言い伝えがあることから「良縁観音」、頼朝が天下をとることができたことから「昇竜観音」とも呼ばれています。
宝篋印塔
本堂の裏手にある大小二つの石塔があります。
大きい石塔は、安養院の前身である善導寺の開山・尊観の石塔と伝えられています。
1308年(徳治3年)の文字が刻まれていることから鎌倉最古の石塔とされており、国の重要文化財に指定されています。
小さい石塔は北条政子の墓と言われていますが、寿福寺にも北条政子のものと伝わる墓があります。
政子は、晩年を勝長寿院奥に屋敷を建てて過ごし、1225年(嘉禄元年)7月11日に亡くなりました。
「吾妻鏡」によれば、勝長寿院で荼毘に付されたとされています。
天然記念物の槇
安養院の境内に植えられている「槇」は、鎌倉市の天然記念物です。
開山の良弁尊観の手植えと伝えられています。
樹齢は700年とも言われています。
日限地蔵
安養院の地蔵堂に安置されている石造地蔵菩薩像は、「日限地蔵」です。
日を限ってお願いをすると、その決めた日数のうちに成就してくれるといわれています。
また、頼朝と政子が結ばれたことにちなんで、恋愛成就のご利益があると言い伝えられています。
人丸塚
観音堂横の木陰には、扇ヶ谷から移されたという「人丸塚」があります。
平家の侍大将平景清は、源頼朝暗殺を企てて捕えられ、仮粧坂の土牢に閉じ込められました。
景清の娘人丸姫は捕えられた父に会うため京都より鎌倉に下ってきましたが、会うことはできませんでした。
景清の死後、尼となって景清が幽閉されていた土牢の上に、景清が守本尊としていた十一面観音を祀って供養したそうです(向陽庵)。
数年後に亡くなった人丸姫は扇ヶ谷に葬られ、そこは「人丸塚」と呼ばれていました。
その塚もいつしか崩され、安養院に預けられたのだと伝えられています。
なお、向陽庵に祀られていた十一面観音像は現在、海蔵寺に祀られています。
つつじ寺
安養院は「つつじ寺」とも呼ばれます。
この寺に咲くつつじは、「オオムラサキツツジ」と呼ばれる品種です。
その名の通り、「オオムラサキツツジ」は大きな赤紫の花をつけることで知られており、一般に「つつじ」と言えばこれを指すことがほとんどです。
5月のゴールデンウィークの頃にはツツジが咲き誇り、見頃となります。
山門を通ると大きなツツジが目に入ってきます。さらに本堂や宝篋印塔横にもツツジが咲いています。
春らしい写真を撮りたくなる風景です。
お守り
安養院のご本尊は、北条政子と源頼朝の縁を結んだといわれる千手観音は、上記にも記載した通り「良縁観音」とも呼ばれています。
本堂をお参りすると、阿弥陀如来の後ろに観音様の御姿を拝見することができます。
そのお力を頂くお守りはふたつあり、「えんむすび守」は、ちょっと大きめで古風な形をしています。
もうひとつは茄子をそのまま小さくしたような「なす守」です。
「事を成す」の言葉にあやかるお守りといわれてます。
この茄子は鈴になっていて、コロコロという穏やかな音色を奏でます。和装の時には根付にもなりそうですね。
歴史的に悪名が高い北条政子ですが、大河ドラマ「平清盛」で女優の杏さんが演じたダイナミックな政子が印象的です。
当時は田舎というか僻地というイメージがあった東国。
その地の武士の娘として生まれたワイルドな政子が、京から流された頼朝に恋をしてすべてを捧げます。
生きる意味を見失っていた、頼朝を将軍にまで押し上げたのは、なんだかんだ言っても政子の力が大きかったと思います。
頼朝は浮気者だったと言われ、そのため政子は嫉妬深いと言われてしまいます。
ただ、どんなことをしても、政子は出会いから別れまで、頼朝が好きだったことは変わらなかったと思うのです。
境内に咲き誇る赤紫の色鮮やかなツツジが政子の情熱的な愛のように感じました。
また、ツツジの季節に訪れたくなる場所です。
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安養院のSNSでの口コミ
方角が違うのぅ。 墓参り(安養院)→嘉多山浅間神社→平柳星宮神社→萬福寺→和房どんぐり pic.twitter.com/d1GHwEi4pE
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