由比ヶ浜
由比ヶ浜の基本情報
【スポット】由比ヶ浜
【ふりがな】ゆいがはま
【 住所 】神奈川県鎌倉市由比ガ浜4丁目4
【アクセス】江ノ島電鉄 由比ヶ浜駅 徒歩約5分
【最寄り駅】由比ヶ浜駅
【営業時間】年中無休
【 料金 】無料
【クーポン】特定のイベントや施設で割引クーポンが提供される場合があります
由比ヶ浜(&材木座) ~天然要塞? 鎌倉の歴史を感じながら~
由比ヶ浜はJR鎌倉駅からもほど近く、材木座・腰塚を合わせた『鎌倉3大海水浴場』と呼ばれるビーチの1つです。
「由比ヶ浜」と「材木座」は事実上繋がっている隣同士のビーチで、観光で訪れる方にとっては分かり難い部分でもあります。
鎌倉駅から徒歩で南に向かって歩く事15分〜20分弱。目の前には広大な相模湾が現れます。砂浜に出て見ると左右に広大な海岸が広がっていますが、相模湾を正面に見て『左側の海岸:材木座海岸』『右側の海岸:由比ヶ浜海岸』となります。
この2つの海岸が東西に緩やかに湾曲しながら形成するビーチの全長はおよそ2.5kmに及び、これは鎌倉の海水浴場の中でも一番の長さを誇ります。
今回はこのビーチ全体を1つの海岸として捉えた上で話を展開させて頂きますので、お間違えの無い様お願い致します。
「鎌倉で海水浴」という表現がある場合、一般的には、この由比ヶ浜と材木座が連結している海岸の事を指していると考えて間違いありません。
由比ヶ浜へのアクセス
JR横須賀線の鎌倉駅が最寄駅となります。東京から1時間弱、横浜からであれば30分弱というアクセス快適なエリアです。
車での訪問に関してですが「夏季海水浴シーズンの近隣大渋滞」は鎌倉の風物詩とも揶揄される事象です。
海岸線を走るR134はドライブコースとしては素晴らしいのですが、交通量は時間を問わず多めです。
「鎌倉に車で行ったら、駐車場なくて諦めた」なんて話も割と聞くので、お車の方は事前に「駐車場情報」をゴッソリ集めておく事を強く推奨いたします。
海水浴場としての由比ヶ浜ガイド
年間を通じて80万人が訪れるというこの海岸。その大多数は夏の海水浴客です。混雑度は言うに及びません。
他の海水浴場と同じく、特別な料金はかかりません。更衣室やシャワー、食事などは海の家に頼ることになります。
アクティヴィティのレンタルなど、非常に充実しているので楽しむ事ができます。遊泳時間が定められていますので指示に従ってお楽しみください。
由比ヶ浜・材木座は遠浅で穏やかな海岸で、お子様連れの方も大変多くいらっしゃいます。
他方、ビーチ用の車椅子のレンタルなど、様々なゲストに対してのサービスも展開されていますので、情報を集約して判断いただければ、どなたでも楽しんでいただける海水浴場と言えます。
夏季以外の由比ヶ浜
夏の喧騒が嘘の様に穏やかな海岸が広がります。
ヨットやサーフィンを楽しむ方々の姿は年中見られますし、海岸では地元の方々、観光客の方々が穏やかな時間を過ごされています。
遠浅の海なので、安心して波打ち際を歩けます。ここをジョギングしている方や、綺麗な貝を探して歩いている方なども頻繁に見かけます。
材木座の方まで歩いて行くと晴天の際には大変綺麗な富士山が望めます。夕日の沈む方向になるので、夕焼けの海と富士山を撮影する名所にもなっています。
由比ヶ浜と併せて訪れたいスポット
鎌倉駅周辺には様々な食事処がありますので、海水浴の前後にお腹を満たす事が出来ます。
近郊の漁港で水揚げされた魚介類や、鎌倉野菜は神奈川の食の代名詞でもあり全国ブランドです。是非ともご賞味ください。
言うに及びませんが、江ノ電に乗車するとそのまま江ノ島にアクセスできます。車窓から眺める海はまるで自分が映画か小説の中にいるかの様に感じます。
「鎌倉高校駅」などはホームからの絶景が大変有名で、わざわざ一度下車してホームでの時間を楽しむ方もいらっしゃいます。
尚、江ノ電は平常の土日でも多客の影響で混雑し遅延する様なケースも目立っております。
ご利用の際は、ある程度の時間的余裕を持って計画を立てる様お願いいたします。
現在の鎌倉は観光都市として名高く、近辺には有名な社寺が無数にあります。由比ヶ浜からも「高徳院(長谷の大仏様)」などに気軽にアクセス可能です。
海水浴前後に参拝なさる場合は、服装にご注意いただければと思います。
大仏様ももう慣れっ子だと思いますが、社寺参拝は単なる観光ではありませんし、地元の方々の信仰の場ですのでご配慮をお願いする次第です。
由比ヶ浜と材木座は連結していると書きましたが、その材木座の端部に「歴史的遺構」があります。
『和賀江島』と呼ばれる人工島です。1232年に鎌倉幕府が築島したという記録が残っています。遠浅の海は交易面ではデメリットだった為、ここに島を作ることで交易拠点としました。
現在では満潮になると見えなくなってしまう程度の遺構なのですが、我が国で最古の築港遺跡として有名なポイントなので、足を運んでみてください。
また、ここまで歩いてきたら、至近距離にある「光明寺」への立ち寄りもお勧めします。立派な山門・伽藍を誇ります。
伽藍の裏側へ続く道を歩き、階段を上ってお寺の裏の丘に登ってみると「絶景」が待ち受けています。
『かながわの景勝50選』にも名を連ねるほどで「富士山」は勿論の事「材木座」「由比ヶ浜」を高い位置から一望できます。
簡易的ながら展望スペースも整えられており、特に夕景は美しい隠れ家的スポットです。
もっと知りたい:由比ヶ浜が海水浴場になるまで物語
鎌倉は古の時代には日本の政治の中心になった場所でした。東西と北側の三方が山で、由比ヶ浜・材木座で形成される南側を唯一の開口部とする特有の環境が、政治、そして軍事的に絶好の条件だったからこその「鎌倉」だったと言われています。
とは言え、近世までは海も海岸も娯楽の場ではありません。この由比ヶ浜を含む鎌倉の海岸もそれは同じで、特に武術や(弓)馬術の修練場として活用されてきた歴史があります。
今現在も鎌倉に伝わる「流鏑馬(やぶさめ)」なども元を辿っていけば、こうしたビーチでの修練の上で奉納されていたと考えられます。
由比ヶ浜海岸は精神を鍛練し、清める場所としても重要な役割を果たしていました。
一方では、海岸は戦いの舞台でもありました。政治の中枢であればそれに付随したイザコザも数知れず、御家人同士の命を賭けた戦いも史実として記録に残っています。
また、近隣には今で言う「裁判所」「処刑場」が設置されていた為、処刑者が海に流されたり、砂浜に埋葬されていました。
こうした事実は、昨今の近隣宅地造成工事などで、人骨の出土が確認されているという事実からも裏付けが取れています。
こうした史実の他にも、源義経、源頼朝、新田義貞など、今尚名を轟かせる武将たちと海岸を結ぶエピソードもありますし、最新の調査でも続々と新しい発見が続いており、この海岸の歴史の深さを感じさせます。
由比ヶ浜の名称の由来を巡っては、複数の説が唱えられており、今現在も定説と呼べるものは無い状態が続いています。
地元の名士の名称が「由井」だった、古来同地は「由比郷」と呼ばれていた、互助を意味する「結」という言葉…等々、諸説あります。
明治初期にはこの海岸が火葬場として利用されていたという史実も残されていますが、この由比ヶ浜・材木座の未来は少しずつ変化していきます。
明治17年(1884年)、当地を訪れた「長與專齋(ながよせんさい)」という人物が由比ヶ浜を『海水浴の最適地である』と評した事で、広く一般に認知されていきます。
長與專齋は岩倉遣欧使節の一員だった人物で、文部省医務局長、内務省・衛生局局長、元老院議官、貴族院勅選議員などを歴任した名士・閣僚で、この由比ヶ浜訪問時は貴族院議員でした。
当時は海水浴という文化はまだ広く認知されていませんでしたが、鎌倉方面では、打たせ湯ならぬ「打たせ波(海に入って波を浴びる)」が健康に良いとして、医療行為の一環として行われていたそうです。
小さな転換はやがて時代の大きな転換とも重なりました。明治22年(1889年)に現在の東海道本線が新橋〜神戸間で全通。鎌倉もその恩恵を受けます。
特に東京方面からのアクセスの良さが富裕層に受け、鎌倉周辺には日本人・外国人の別荘が増えていきます。
この頃には材木座にも西洋式のホテルが建設され、鎌倉の海岸は一気に名を上げていきます。
そして明治43年には(1910年)には江ノ島電鉄が全通します。しかし、それでも尚、由比ヶ浜・材木座は観光地ではありませんでした。
そこは専ら富裕層たちの庭であり、彼らが「波と戯れる」事に娯楽としての喜びを見出していった事が、このビーチの「海水浴場」としての始まりだったというのが定説となっています。
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