原爆ドーム

原爆ドーム
by 広島県
第二次世界大戦時に原爆の被害を受けた建造物で、負の世界遺産とも呼ばれています。建物は当時広島産業奨励館という名称で、チェコの建築家ヤン・レツルによって設計された建物でした。当時の家のほとんどが木造であった中、一部が鉄骨のレンガ造りであったため、めずらしい建物として有名でした。

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原爆ドームの基本情報


【スポット】原爆ドーム
【ふりがな】げんばくどーむ
【 住所 】〒730-0051 広島県広島市中区大手町1丁目10
【アクセス】JR広島駅から広島電鉄「原爆ドーム前」下車すぐ
【最寄り駅】広島電鉄 原爆ドーム前

原爆ドーム
が含まれる観光マップ



「負の遺産」原爆ドーム

「負の遺産」と呼ばれている原爆ドーム

広島のスポットといえば、やっぱり原爆ドームは外すことができません。原爆ドームは、世界的にも知られたスポットです。

世界遺産としての顔も持っており、その独特な佇まいから「負の遺産」という異名も持っています。

今回は、この原爆ドームに焦点を当てて、歴史、周辺環境、アクセス などに迫ってみました。

原爆ドームの本来の姿は 広島県物産陳列館

原爆ドームの本来の姿は「広島県物産陳列館」 と呼ばれていた建物なのは皆さんご存知でしょうか?

広島県物産陳列館は、1910年の明治43年に建設された建物です。

当時の広島は、経済規模の拡大に基づいて、広島県産のアイテムの開拓が急務となっていました。その拠点として建設されたのが 広島県物陳列館 だったというわけです。

被爆を受けた当時の状況

広島県物産陳列館が 原爆の被害 を受けたのは1945年の昭和20年8月6日のことでした。

午前8時15分17秒に、アメリカ軍のB29爆撃機の「エノラゲイ」によって、原子爆弾であるリトルボーイを投下されたのです。

原子爆弾の勢いにより、広島県物産陳列館は3階建て部分がほぼ全壊してしまいました。しかし、中央部分のドームだけは破壊されることなく残存したのです。

ドーム部分が崩壊しなかった理由には次のようなものが考えられています。

1. 衝撃を受けた方向が真上だったから
2. 窓が多い建物だったため、ドーム内の空気圧が必要以上に高くならなかったから
3. 建物とは材料が異なり、ドーム部分の 材料は銅板であったから。銅板は、鉄版に比べると熱の通り方が違うので、爆風が通過しやすかったと考えられています。

このような条件により、ドーム全体が衝撃をうけなかったと考えられているのです。

しかし、それでも衝撃は大きかったため、鉄骨やレンガを残すだけの姿となっています。

原爆ドームとして残されることに

原子爆弾の被害を受けて、変わり果てた姿になった 広島県物産陳列館は、「この姿を残していこう」ということになり、原爆ドームと呼ばれるようになったのです。

「何時から原爆ドームと呼ばれていたのかは?」定かではありませんが、1951年の昭和26年「サンフランシスコ講和条約」によって、連合軍の占拠が終了した頃には、すでに原爆ドームと呼ばれていたようです。

広島平和記念公園の完成

やがて、原爆ドームを中心として、「広島が原爆の被害を受けた」ことを孵化させないための試みがなされるようになりました。

その代表例の一つが、広島平和記念館の建設です。1949年の8月6日に広島平和記念都市建設法が決定されたのをきっかけに、本格的になりました。

そして、1955年の昭和30年に 広島平和記念公園は完成したのです。

この公園には、原爆死没者慰霊碑や広島平和記念資料館も併設されています。

この二つは、広島平和記念公園に訪れた際には外すことのできないスポットです。

原爆死没者慰霊碑には手を重ねる人が後を絶ちません。

広島平和記念資料館には、原爆にまつわる当時のアイテムがそのまま保管。少々ショッキングな展示がなされているのは否めませんが、日本人だけではなく外国人も こぞって足を運んでいるのです。

ちなみに、原爆死没者慰霊碑と広島平和記念資料館は、原爆ドームに向かって 一直線になるように設計されています。

これは、原爆ドームをランドマークにさせるための意図があったからです。従って、全てのスポットをスムーズに回れるようになっています。

一時は取り壊しの危機もあった

原爆ドームは、一時は取り壊しの危機を迎えたことがありました。

それは、1960年代のことです。原爆ドームの 老朽化 が進んでいたので 、崩壊の危険性がありました。そのため、「取り壊した方が良いのでは?」と言う意見が挙がったのです。

しかし、 取り壊しを求めた理由は、それだけではありませんでした。「原爆ドームを見るたびに、原子爆弾の悲惨さを思い出してしまう、、、」という声も多かったのです。さらには、「保存にはお金がかかる」などの理由もありました。

そのため当初は、広島市も原爆ドームを残すことには消極的だったそうです。

しかし、大下学園祇園高等学校に通う生徒の日記をきっかけに、その流れが変わりました。

そこには、「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも恐るべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」と記されていたのです。

それに 感銘を受けた、平和活動家だった河本一郎により、原爆ドームを残すための運動が起こりました。

その結果、永久保存することが決まったのです。永久保存が決まったのは、1966年の昭和41年のこと。その後、保存工事も進み、現代に残されています。

ついに世界遺産に登録へ

原爆ドームといえば、日本を代表する世界遺産の一つです。

原爆ドームが 世界遺産に登録されたのは、1996年12月5日のことでした。近年の世界遺産ブームも背景に、様々な国籍の人が訪れるスポットになったのです。

アメリカ大統領を務めた、バラクオバマ氏も原爆ドームに足を運んでいます。

深刻化しているいたずらについて

世界遺産に登録されて、注目を集めるようになった原爆ドームなのですが、多くの人が集まるようになった一方で、落書きなどの悪ふざけが深刻化するようになりました。

原爆ドームは、外観を見学するだけならいつでも可能なのですが、中は立ち入り禁止区域のため、制限されています。

しかし、その立ち入り禁止区域に侵入して悪ふざけする行為が問題になっているのです。ですから、原爆ドームを訪れる際は、必ずルールを守ってください。

原爆ドームの周辺について

原爆ドームの周辺には、オフィスビル、高層マンション、商業施設などが立ち並んでおり、「現代らしい町並み」になっています。

このような 都市計画が進むにつれて、「原爆ドーム周辺の歴史や景観が破壊されるのではないか?」という問題も一時期は抱えていました。

しかし、その一方で、緑や水辺もちきんと残されています。そのため、程よい自然と都会感がミックスしている町並みに仕上がりました。

その中で、ひときわ「意味での古臭さ」を残しているのが原爆ドームというわけです。

実際に原爆ドーム周辺に足を運んで見ると、原爆ドームだけ時が止まっているかの様な佇まいに なっているのがわかります。

この原爆ドームの違和感は、これからも絶え間なく残され続けることでしょう。

原爆ドームまでのアクセスについて

それでは、最後に原爆ドームまでのアクセスを紹介しておきましょう。

原爆ドームへのアクセス方法はいくつか存在しています。

今回は、広島駅からアクセスする方法と、広島空港からアクセスする方法を紹介してみたいと思います。

広島駅南口から
【ルートその1】2番宮島口行き、 2番西広島駅行き、 6番江波行き の路面電車に乗り、原爆ドーム前駅で下車します。所要時間は20分ぐらいです。

【ルートその2】バスに乗って、紙屋町駅で下車します。そこから西へ向かって 10分ほど歩くと到着です。

【ルートその3】バスに乗り、市民球場前駅で下車します。 所要時間は15分ほどです。

広島空港から

【ルートその1】空港リムジンバスに乗り、広島バスセンター行きで、広島バスセンター駅へ。下車したら、そこから南西に向かって 徒歩5分ほどで到着です。 トータルの所要時間は60分ぐらい となっています。

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